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『生成の世代展、トークイベント』@清澄庭園大正記念館
キュレーター:TEAM ROUND ABOUT 進行:藤村龍至 スピーカー:藤本壮介、中山英之、中村竜治、吉村靖孝、dot architects 今回のテーマは生成であり、そのキーを「建築事務所がつくる模型、生成のための模型」として話しは進んでいった。 -模型には外観やボリュームを客観視、眺める対象であること、いわゆる設計者としての立ち位置からの視点と、そこに住む人(施主)、そこではただの1人の人としての視点がみられるものである。-藤本さん- これは基本的な模型を作る意味として多くの人が考える意見ではないだろうか。 また、模型のポータブル製という意見や場合によっては模型は必要でなくて、ケースバイケースであるという意見もなるほどそうだと頷けた。 あくまで模型というのは手法の1つであって、どうしてつくるのかという前提がなければ意味の無いものになってしまうこともある。 議事録としての模型というのは藤村事務所ならでは、 自らルールを据え、機械化してしまうと言ってしまうほど、 透明性、社会に対して開くということを意識しているのかなと思った。 相手が個人ではない場合には特に透明性というのは重要なタームである。 模型の造り方が事務所の運営方法や事務所自体の大きさにまで影響しているというのは発見だった、藤本事務所では広い事務所内にスタッフよりも模型のためのスペースが大半を締め、あらゆるサイズの模型が散在し、風景としてそれらを捉えることで、なんとなく事務所内での共有を図っている。 吉村さんの「完成予想図としての模型」と「思考実験としての模型」の型があるというのはよくわかる、これは藤本さんも近いことをいっていた。 後者は建築のもつ新しさや面白さを発見する為のいわばアイディアだし、バリエーションとしての模型で、前者は設計が進んでいくと止む無く妥協せざるをえないポイントや設計に没入するあまりにその建築のゼロ地点を忘れがちに陥るときの回帰点としての模型であるというわけだ。 模型を大量に作る人、あまり作らない人、プレゼンのための模型であり、スタディ模型でもある、もう千差万別なのだが、しかしそこから浮かび上がるいくつかのキーワードはとても興味深かった。タイトル通り、「生成」の仕方はやはり私にとっては模型が一番だと思っているし、そこにかたちがあることは強い。 模型の模型性は揺るがないと思うけど、模型を神格化する必要はない。 あくまで手法の1つでしかない。 アート化についてはより一般に広く認められるのであれば大いに賛成できる。 by wksgarchi | 2009-08-31 01:58 | 建築
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